太宰文学における〈服装〉
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概要
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「私」のあり方を、その起源に遡って考えれば、それは「真似」「ふり」「演技」などとして成立していることがわかる。太宰文学は、それを〈服装〉が内面を規定するという形で描いている。言ってみれば、〈服装〉こそが「私」なのだ。これは、現代風に言えば、「私」は実体としてではなく関係としてあるということだろう。しかし、太宰文学はそうした認識にはとどまらず、「嘘」「演技」を方法的に利用することで、〈服装〉としての「私」と内面に幻想される本当の「私」との相剋を増幅させ、作品の駆動力として利用している。
- 大分大学の論文