植民地期ダルエスサラームにおける都市農村関係 : 都市部とその周辺に形成された民族組織、同郷組織および娯楽結社を通した考察
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概要
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東アフリカ、タンザニアの首都ダルエスサラームは、19世紀の終わりにドイツ植民地政府の首府として始まり、その後英国植民下の1930年代から1950年代にかけて地域の行政・経済・文化の中心地として発展した。その過程で、領土内外の各地の農村部から、様々な民族的・社会的背景をもつ人々が流入してきた。それらの新規移住民は、不慣れな都会での生活に適応するために、民族組織や、一定の地域出身の人々から成る同郷組織を設立する場合があった。この民族・同郷組織は、葬式講としての機能を持つと同時に、日常生活における相互扶助的組織としての役割を果たした。これらの組織はまた、各民族の伝統芸能(ンゴマ)を日常的に組織するなど、都市における農村的文化の保持とも関連をもっていた。このような民族組織の中でおそらく最大の規模を誇ったのは、ダルエスサラームとその周辺部の土着民族であるザラモ入り組織(「ザラモ人連合」)である。地元民であるザラモ人のこの組織は、故郷の農村部との直接的つながりが薄い遠距離移民による他の民族組織とは異なり、農村部をも含むザラモ人の土地全体の経済的・政治的発展を意図していたという点で独特のものであった。同連合にはまた、ザラモ人以外にも、南隣に住むンデンゲレーコ人が加わっていた。この両民族は、ダルエスサラームにおける最大規模の民族としてしばしば通婚を行うと同時に、両者が混住する近隣農村で発明されたある種のンゴマをともに都市で発展させるなど、親密な関係を有していた。こうして、ダルエスサラームのアフリカ人社会に現在でも重要な住設を占めるザラモ人とンデンゲレーコ人の密接な関係は、植民地期における都市・農村関係の動態の中で徐々に形成されてきたと考えられる。
- 近畿大学の論文
- 2003-03-31
著者
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