「怒りの葡萄」における循環する生命
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概要
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「怒りの葡萄」(ne Grapes o7 Wr肘カ)はジョン・スタインベックの代表作であるとともに、アメリカ文学の中でも大きな位置をしめている。激しい砂嵐に追われ故郷を離れた移民たちが自然界の猛威や様々な搾取、偏見と苦闘する様が描かれているこの小説は、主人公であるジョード一家の娘、ローズ・オプ・シャロンが、飢え死にしかけた老人に自分の乳を飲ませる場面で幕を閉じる。飢えや洪水に攻め立てられたジョード一家を苦境に置いたままのこの幕切れは、確かに中途半端で未完成であるかのような印象を与えてしまう。しかし登場人物たちの苦境とは裏腹に、ラスト・シーンそのものはオプティミステックな印象を残している。これはスタインベックが物語の解決を放棄してしまったのではなく、まったく異なった形で、生き続け、発展していく生命への賛歌を描き出そうとしているからである。このラスト・シーンを通してスタインベックが語りかけているのは生命の循環性である。彼は、19世紀アメリカの哲学者エマソンが主張した「大霊」の思想に学び、一つ一つの生命は孤立したものではなく、互いに結び付いて大きな一つの生命体を構築している、と訴えている。つまり個々の生命は失われるかもしれないが、それはやがて全体に統一され、新たな生命を生み出す糧になる、というものである。スタインベックはこれらのややもすると漠然なりがちな観念を、海洋生物学者との共同研究による生態観察という、自然界における客観的な事実の中から読取りこの小説の柱としている。自然界では、生命あるものたちが助け合い、一つの大きな意思に従うかのように互いの生命を尊重し支えあっているのである。「怒りの葡萄」を書くにあたり、スタインベックは不況時代のカリフオルニアに取材し、その現状を描きだすことに専心している。しかし全体的にリアリズム的手法で貫かれているこの小説のラストは、むしろ抽象的な方向を示しているのである。それは彼が現実の社会の問題解決を未来に委ねているからだ、といえるのではないだろうか。
- 1996-12-20