名古屋市水道と木曽川の水質(第3報)
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概要
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大正3年(1914年)の秋に給水を開始した名古屋市水道が満60年を迎えた昭和49年(1974年)と,7年後の56年(1981年)とに,60有余年にわたる水道施設の拡充・発展のあとを振り返り,供給されてきた水道水の水質の推移を調べるとともにその水源である木曽川の水質がどのように変ってきたかを検討し,名古屋市水道は安定した給水能力をもつ大規模なものとなったが,木曽川の汚染が目立ってきており1日も早くその汚れを減ずることを切望しておいたが,さらに3年を経過した本年,昭和59年(1984年)はまた名古屋市水道の通水70周年に当たるので再び同様な調査・研究を実施した.その結果,名古屋の水道は"断水のない水道"として安定した給水が確保されているものの,木曽川の汚染はまだまだ回復する様子もなく横這い状態で今日に至っていることが認められた.今や,名古屋の水道は量の確保を目指す「建設の時代」から質の充実を目指す「管理の時代」に移っているということができる.名古屋市は国や県などの関係機関の協力を得て木曽川の水質改善と安全確保に努めているが,流域の下水道施設の早期整備と相侯って,木曽川の水が1日も早く汚れを減じて明治の頃の清流となり,安心しておいしく飲める名古屋の水道になることを重ねて切望するものである.稿を終わるに当たり,貴重な資料を提供して下さった名古屋市水道局,鍋屋上野・春日井・大治各浄水場のご厚情に厚く御礼申し上げ,なおまた試料水採取に格別のご便宜をいただいた水資源開発公団愛知用水兼山管理所に深謝申し上げます.
- 名古屋女子大学の論文
- 1985-03-01
著者
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