<学位論文要旨>中部琉球における完新世裾礁礁原の地形形成
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概要
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本研究は,中部琉球の完新世裾礁において,礁原の地形形成機構を明らかにすることを目的とした。まず,礁原でみられる地形ユニットを系統的に判別し,サンゴ礁の地形形成論を展開する基礎をつくるため,時空間スケールを基にした地形階層区分を行った。その結果,裾礁礁原でみられる地形は,I.礁原全体,II.帯状配列を示す地形帯,III.微地形,IV.超微地形の4階層に区分できる。次に,本論で礁原形成論を提示する際に考慮すべき地理・地形的な場の条件など,サンゴ礁形成に関わる諸要因を明確にするため,掘削法を用いてサンゴ礁の形成を三次元的に論じた。掘削は,礁嶺が発達し,地形帯が明瞭にみられる典型的な裾礁礁原である久米島西銘崎の完新世離水サンゴ礁で行った。久米島西銘崎における7,500∿2,000 Y. B. P.の期間における相対的海面変化は,海面上昇速度を基に,以下の3期に区分できる。1) 7,500∿6,500 Y. B. P. : 約10m/1000年の急激な海面上昇期,2) 6,500∿5,000 Y. B. P. : 海面上昇速度が次第に低下し,3m/1000年以下となる時期,3) 5,000∿2,000 Y. B. P. : 海面安定期である。久米島西銘崎の完新世サンゴ礁は,少なくとも2段の更新世琉球石灰岩からなる埋没段丘の上に形成されている。礁原の形成過程は,3段階に分けられる。1) 初期成長期 : 礁形成の開始は約7,500 Y. B. P.である。初期成長期における礁形成では,完新世サンゴ礁の基盤地形における斜面の方向と波の進入方向との関係と,水深の違いを反映した成長構造の差異が認められる。2) 礁嶺成長期 : 6,500∿6,000 Y. B. P.における海面上昇速度の低下に対応して原地卓状サンゴによる活発な造礁活動が認められ,礁嶺が海面に達する。礁嶺成長期において礁嶺頂部がもっとも速く海面に達したのは,前段階までに形成された礁地形の深度が浅く,波の影響を強く受ける位置にあった部分である。3) 礁原形成期 : 海面上昇速度の低下とそれに続く海面安定期に対応して,約6,000 Y. B. Pに礁原の形成が始まる。まず,礁嶺中央部が海面に達し,続いて礁嶺の外洋側と礁湖側が海面に達して礁原が形成される。礁原形成期においては,波の進入方向と礁嶺の形成状態を反映した形成様式の差異が認められる。完新世サンゴ礁の形成過程には,海面上昇速度と波の進入方向が主に作用していることが明らかになった。海面上昇速度の変化はサンゴ礁形成過程の時系列での変化を引き起こしており,礁原の形成は約5,000 Y. B. P.に始まる海面安定期とほぼ同時に始まっている。波に対する遮蔽度は,完新世以前の地形や礁形成の各々の時相で存在する地形と,北からの冬季卓越風との関係によってきまる。波の進入方向に対する各々の場の環境は,サンゴ礁形成段階に地域的な多様性を与えている。サンゴ礁形成の結果つくられた地形は,続いて起こる礁形成に作用する局地的要因となっており,各々の時間や場における地形環境は,それに応じた独特の礁形成過程を作り出している。掘削法では水平方向での連続性を明らかにすることができない。この欠点を補い,礁原における各地形ユニットに対応した形成過程を明らかにするため,現成サンゴ礁礁原を開削した水路において詳細な連続断面を得る新たな方法(横断面連続調査法)を提示した。そして,中部琉球の2つの島で,この方法による研究を行った。1つは礁嶺の発達が顕著で地形分帯構造が明瞭な「礁嶺-礁湖型」礁原の水納島であり,もう1つは地形帯の発達が不明瞭な「平坦型」礁原の渡名喜島西岸である。この結果,礁原地形の相違には,礁原形成過程の相違が反映されているということが明らかになった。水納島における礁原形成は以下の2つの段階に区分できる。1) 先行期(5,000∿4,000 Y. B. P.) : 約5,000 Y. B. P.に,現在の礁嶺中央部で初期の礁縁が形成された。礁嶺の成長による消波構造の形成に伴い礁嶺背後で枝状ミドリイシが成長した。このような,「ダムアップ(dam up)型」の地形形成プロセスによって「先行礁原」が形成された。2) 後続期(4,000∿2,000 Y. B. P.) : 先行礁原の海側での縁脚の発達によって,礁原は海側へと拡大する。海面に達する縁脚の形成は500∿1000年周期で順次海側へと遷移する。このような,「礁原付加型」の地形形成プロセスによって,先行礁原の海側に「後続礁原」が形成された。水納島における礁原形成過程から,礁嶺-礁湖型礁原でみられる地形帯は,各々,形成史上の意味を持つことが明らかになった。礁嶺中央部は,礁原形成初期における礁縁部の名残であり,礁池は先行期にみられる礁嶺背後の埋積(礁嶺陸側部分の形成)によって後退した。さらに,現在の礁縁部にみられるような,活発な造礁サンゴの生育が認められる部分が遷移することによって,礁嶺より海側の地形分帯構造が形成されることが明らかになった。
- 広島大学の論文
- 1992-12-31