〓香舎(すききょうさ)春竜考
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概要
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京都から長崎を経て春竜に伝わった香道の趣意は,香木の見極めと香道の究極の境地「谷神」にあった。春竜の熱心な教授に加えて准后公遵法親王による庵室教場「〓香舎」の命名揮毫により評判は広まり多くの門人が集まった。春竜は,香道に必要な和歌和文の教養を深め,門人に正伝ではないと批判された長崎経由の香道の不備を補う方策を模索するためか,賀茂真淵に入門した。その結果得たものは,伝授・考察の内容を筆録し遺すこと,その文献による故実の探求,さらには香の世界で師から伝受したものだけでなく故実に基づきつつ新しい方法を考え伝授することであった。明和四年の香合会は,真淵の影響が明らかである。法隆寺舜懐との出会は,春竜の香木研究にはずみをつけた。米川流正伝ではないとの批判に対して足利義政にさかのぼる香道をうち立てたこと,多くの門人に対応するため新しく割飾りを考案したことによって,春竜の香道は米川新流といわれることになった。
- 2003-03-15