忍鎧とその著述
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
江戸時代もっとも書写された『十種香暗部山』の著者空華庵忍鎧(恵南)の生涯と著作を初めて紹介する。忍鎧の香業は『焚香濫觴輯略』と著作によってほぼ知ることができる。[寛文十年十二月三十日誕生(前田久友の二男。兄は国任),元禄元年(十七歳)天台宗妙立阿に入門,同三年七月阿闍梨死去,二十歳代西村成政(実閑斎)から香を学ぶ,寿仙など香友と交わる,三十歳代犬井貞恕と『謡曲拾葉抄』編纂を始め膨大な資料を渉猟し七十二歳に至って完成,四十歳代隠棲(西六条),友人の依頼により香会を重ねる,享保五年四月(五十一歳)『十種香暗部山』草稿完成,享保十四年九月以降(六十歳)『十種香暗部山』出版し香名広まる,享保十七年二月十四日(六十三歳)蘭奢待香会の香本を勤め香者としての地位確立,元文三年四月(六十九歳)以前『香会弁要録』執筆,元文五年三月(七十一歳)以前『香道弁要録』執筆,七十三歳『自讃歌管注』完成,延享三年三月(七十七歳)以前『香道余談』(『香会余談』)執筆,八十歳「詠寝覚和歌」五十首を詠む,宝暦二年十二月十七日(八十三歳)死去,鳥辺山に葬られる。著述はいずれも現存]忍鎧が香会を重ね始めた四十歳代は,京都の新興の富裕町人層が香の世界に関心を持ち始めた時期に当たっていた。伝統の権威を振りかざさない香の研究者・教育者としての忍鎧の立場は,高雅な伝統の香の遊びを理解し楽しみたいと願う人々を引き寄せ,その集まりの中から『十種香暗部山』が生まれ,さらに蓄積された知識と見識が書きつがれ現存している。香書からは,さまざまな状況を想定しての丁寧な指導,故実研究の成果を生かした主張と同時に道具の変遷等にかかる流動的な部分への柔軟な対応,形と心を重んじつつもさま,さまなレベルの連衆の楽しめる香会を第一としたことがうかがえる。
- 2001-03-15