「わかった!」 : <和>の原則
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概要
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紀元前3世紀,アルキメデスはバスタブにつかりながら金の純度をはかる方法を発見し,「わかった!」("Eureka"!)と叫んだ。以来数百年の歳月が過ぎ,私もまたこれと似た体験を遠藤周作の小説『沈黙』を読みながら味わったのだ。専門とする19世紀の比較文学研究の中で,私はロシアの小説を数多く読み,楽しんだことがあったそうした。ロシアの小説から私がつねに受けた印象は,登場人物がしばしば口論を好むということであった。彼らはありとあらゆることについて言い争い,熱弁をふるう。あたかも<語ること>が,あるいはより正確には<論争すること>が,彼らの人生における最も重要な行為であるかのように思えた。その後,ロシアの3つの主要都市に滞在する機会を得,私はそこの人々が,ロシアの物語の中で出会っていた登場人物とそっくりなのに気がついた。また彼らが驚くほど言葉の才能にたけている,ということも発見したのであった。さて,『沈黙』の中で,私はほとんどの日本の小説と同様に,これとはまったく違うタイプの人物に出会う。日本人の登場人物たちは,たとえ本当は意見を異にする理由があっても,相手に対してすぐに言葉による攻撃にかかることはない。このあり方は実生活にも言えるのではないだろうか?おそらくは,調和の原則である<和>ということが日本人の頭と心にあまりにも強く染み着いているために,口論が注意深く避けられるのだ。<和>によって育まれた気質にとっては,口論はあまりに不釣合いで不愉快なために考えられないことなのだ。けれどもまさにこの原則が外国語の修得を妨げている傾向があるのではないだろうか?この論文は<和>の原則という捉えがたい現象を探究するとともにその広範囲に渡る影響を理解しようとするものである。
- 北海道東海大学の論文
著者
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