『小説の技法』と「国際小説」
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概要
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P・ラボック(Lubbock)の『小説の技術』(The Craft of Fiction,1921)以来,そして,ニュー・クリティシズムの手法が小説の分析に試みられるようになってからはなおのこと,形式や技法の点から小説を考究する方法が一般的になっている。そうすることで,理論という閉系に小説における現象を囲いこもうともくろむのだ。小論で取り上げるH・ジェイムズ(James)の『小説の技法』("The Art of Fiction",1884)は,そういった傾向に先鞭をつけたものとされることがあるが,誤解である。ジェイムズは,このエッセイの中で,少なくとも現代の批評と同じ土俵で一貫した客観性のある小説諭を展開しているのではない。むしろ『小説の技法』は,解釈に困る論旨のひきつれや意味上の空所の多いテクストとみえるはずである。それは,このエッセイが,小説の在り方をめぐる当時の議論と骨がらみになっているからであり,またジェイムスがこのような評論にことよせて実作家としての自分自身を再検討しているからでもあろう。つまり,このテクストのひきつれや空所とみえるものは,彼が,外部や,あるいは自己の内部に向かって身構えている姿勢の現れにほかならない。そういった内外の条件を検討することによって,幾らかなりともそのひきつれをほぐし,空所を埋めることはできないものだろうか。
- 東京家政学院大学の論文
- 1991-07-31
著者
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