<原著>朱氏産婆論の翻訳と府県への寄贈
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概要
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医制(明治7年8月18日)の布達に基づき,東京府では産婆教育の基本方針として,ドイツのシュルチェ式教授方法を採用した。この決定後,東京府では,シュルチェ氏の産婆心得草を教科書として採用し,翻訳,出版することとなり,1,800円の予算を計上した。翻訳された本,朱氏産婆論は東京府病院の蔵書となり,本の版権免許は東京府病院の所有するところとなる。このようにして,朱氏産婆論自体,公的な性格を帯びることとなった。本の内容の枠組はシュルチェ氏の産科学に準拠し,産婆の業務・産婆と医師の業務分担等に関しては,ドイツエーナ府大学の産院の活動に基づき,産婦人科医シュルチェ氏が体系化したものである。また,朱氏産婆論の目次は産婆教授課目と完全に一致している。東京府は,朱氏産婆論を国の省庁,府県の長官,区医に寄贈し,朱氏産婆論は全国に組織的に公的経路を経て伝播して行った。この結果,シュルチェ氏の産科学を準拠枠組とする産婆教育かに普及して行くこととなったと推察される。
- 千葉大学の論文