ヤスパースとハイデッガー : 「主体性の形而上学」をめぐって
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概要
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デカルト以来の「主体性の形而上学」に、どのように面するかは、今もなお重要な哲学上の問題である。そこで本稿では、互いに「戦闘仲間」と呼び合うなど、当初共通の問題意識を持ちながら、相異する道を進んだヤスパースとハイデッガーを取り上げ、主体性の形而上学の後に続く「形而上学のゆくえ」について考えたい。 考察の糸口を、ヤスパースがハイデッガーに対して書き記した『覚え書き』に求める。そこでは、忌憚のないヤスパースの肉声を通して、形而上学をめぐる両者の立場の違い、さらには形而上学の伝統の継承と破壊といった事柄が鮮明に際だってくる。 両者の対立点は二つある。一つは哲学と学問をめぐるものであり、二つは伝統の継承と克服をめぐるものである。 ヤスパースによれば、哲学は何よりも「絶対性」に関わるが、学問が扱うのは主客の相対的世界である。哲学は、学問ではなく、超越者へとまなざしを向けるべく可能的実存に「訴えかける」ことである。こうした哲学観こそ、哲学の伝統を「我がもの」にし、philosophia perennisに通じる、ハイデッガーはこのような本来の哲学を理解していない、とヤスパースは批判している。 しかし、そうした批判が正当かどうかを含め、「形而上学のゆくえ」について軽々に結論を出すことはできない。なお考えなければならない問題はたくさんある。
著者
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