1870年代から1910年代に至る最上川舟運の変化
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概要
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最上川流域住民の生活は,鉄道開通の影響を受けるまでは舟運に大きく依存していた.1870年代の自由航行の容認と地租の金納化とともに,最上川の運船は小型化し,他方では,船番所が存在し,内陸地方の物資の集散地として知られた大石田河岸の大船団の解体が進行した.生活必需諸品の移入と米穀類の移出を中心とする最上川流域の舟運に関しては,1902年を境に衰微したとする見解が通説であるが,実際には,最上川本流の内陸水運は,第1段階として,米沢まで鉄道が開通した1899年を境に衰微に転じ,そして1901年以降その支流を含め庄内地方の米穀類の輸送によって存続した舟運は,第2段階として,1910年代の庄内地方への鉄道敷設のあおりを受けて衰退していったと考えられる.また,最上川中流部の左沢河岸を拠点とした高橋寅治商店の営業活動に関する資料により,鉄道開通が舟の運航形態や輸送形態ばかりか,同商店の商圏に甚大な影響を及ぼしたことを示した.キーワード:最上川,舟運,奥羽南線,左沢,河川調査
著者
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