金子光晴(2)水の発見 : 彫刻家眞板雅文の例と共に
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概要
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長らくフランス文学に親しんで来た者にとって、その文学・文化を育んだ土地は、と考えると、たまたまユーラシア大陸の反対側に位置していることに、改めて強く意識させられずにはいない。我々の土地は、列島とはいえ、そのユーラシア大陸の東側(というか東端)に位置しており、主に文学作品や芸術作品を通して自ずと現れる両者間の風土の違いには、当然のことながら深い興味をかき立てられる。我々の土地を含めたユーラシア大陸の東側と、西側(あるいは西端)の風土の違いを基本的に成すものは、まず〈水〉と言えるだろう。湿度と言い換えてもよい。湿度の差、自然や生活に占める水の割合の違いが、それである。一昨年失った友人の彫刻家の作品形成を振り返るうち、彼における〈水〉の構図のようなものが浮かんだのだが、同時に進めている詩人金子光晴の作品の再読において、三番目の詩集『大腐爛頌』に差しかかった時、突然「大揚子江」という地名が現れて驚かされた。そして、友人の作品形成とのあいだに、ある一致点が見出せるのではないか、と考えた。このことをまとめてみようとしたのが、以下の小文である。