日本社会における「黒人身体能力神話」の受容--「人種」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心に (差異の表象)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
「黒人は固有の運動能力を有する」という意味での「黒人身体能力神話」を研究の対象とするにあたって,次の二つの立場を措定することがで、きる。第一は,「神話」の浸透を国際的な広がりをもつ現象として捉え,その起源と形成・普及の過程をグローパルな視点から解明しようとする立場である。第二は,「神話」の浸透におけるすぐれて日本的な状況に注目する立場である。ここで問われるべきは,「神話」の歴史性や時代的文脈におけるその性質であると同時に,否それ以上に,「量的」あるいは「比率的」な展開のありかたである。すなわち,グローパルな水準に照らし,「なぜ日本において,かくも無批判に『神話』が受容されるのか」である。本論は第二の立場に立ち,「神話」の日本における受容の過程を,「人種」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心に解明することを目的とする。具体的な構成は以下の通りである。まず第一節にて,「黒人」,「身体能力」,「神話」などの主要概念に定義を与え,文献調査や意識調査の結果を紹介し,日米間の神話に対する意識や態度の差異の度合を明らかにする。第二節では,研究調査の方法論を詳述する。特に,アンケートと聞き取りの結果に基づいて設定した神話受容の過程を解明するために検討すべき4つの経験領域(1 実際の「黒人」との遭遇,2. 「人種」や「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得,3. これらの言葉・概念の公的教育カリキュラムによる学習. 4. 「神話」を支持するに至った契機と体験)の説明に力点を置く。第三節では,第一の経験領域に関してすでに発表した主要な分析結果を報告し,第四節では,第二の経験領域に関して具体的な分析を行う。最後にこの分析に続く作業を展望し,本研究調査の意義を指摘する。
著者
関連論文
- 書評 渡辺靖著『アフター・アメリカ』ボストニアンの軌跡と』
- 「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ--「神話」の歴史性を検証するための試論的考察として
- 『ダーウィンズ・アスリーツ』のその後10年--アメリカにおける人種とスポーツの間 (特集:人種の多様性とスポーツ)
- 日本の小学校・中学校における「人種」・「黒人」観の形成と定着--学習指導の内容と知識の習得を中心に
- 「黒人身体能力神話」浸透度の文化的格差をさぐる : 概念規定と方法論を中心に
- 黒い肌の「異人種」との遭遇 : 「黒人身体能力神話」浸透度の文化的格差をさぐるための序論的考察として
- 川島研究プロジェクト実施報告書
- 「黒人」ステレオタイプと対抗戦略 : J・ホバーマン著『ダーウィンのアスリート』における歴史学的アプローチの場合
- 人種研究の対象としてのアメリカスポーツ : 黒人運動能力論争と日本人(アジア人)ステレオタイプの場合 (原幸雄教授記念号)
- 北アメリカ(アメリカ)
- "SUZUKI"から"ICHIRO"へ : 2001年アメリカ・メジャーリーグ序盤戦における鈴木一朗(イチロー)とメディア報道
- アメリカスポーツと人種 : 日米両国における研究の動向と展望 (佐野晃教授記念号)
- 「黒人身体能力」に対するアメリカ人の認否のダイナミクス--「人種」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心に
- 日本男子マラソンが金メダルにもっとも近づいた日--一九二八年五輪アムステルダム大会マラソン競技における「人種」表象の考察にむけて
- 日本社会における「黒人身体能力神話」の受容--「人種」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心に (差異の表象)
- 帝国日本における「黒人身体能力」との遭遇と人種・民族秩序の再編成 (特集 スポーツナショナリズムの変容)
- 「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ : 「神話」の歴史性を検証するための試論的考察として
- 「黒人」ステレオタイプと対抗戦略 : J・ホバーマン著『ダーウィンのアスリート』における歴史学的アプローチの場合
- 人種研究の対象としてのアメリカスポーツ : 黒人運動能力論争と日本人(アジア人)ステレオタイプの場合 (原幸雄教授記念号)
- 「日本男子マラソンが金メダルにもっとも近づいた日」 一九二八年五輪アムステルダム大会マラソン競技における「人種」表象の考察にむけて
- 日本の小学校・中学校における「人種」・「黒人」観の形成と定着 : 学習指導の内容と知識の習得を中心に
- 「黒人身体能力」に対するアメリカ人の認否のダイナミクス : 「人種」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心に
- 「黒人身体能力神話」浸透度の文化的格差をさぐる : 概念規定と方法論を中心に
- 黒い肌の「異人種」との遭遇 : 「黒人身体能力神話」浸透度の文化的格差をさぐるための序論的考察として