岩手県西和賀の中小鉱山における生産形態の変化とその要因
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概要
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本稿は, 明治末期から昭和初期にかけて, 我が国の鉱山が, 従来の自山製錬による鉱物販売から鉱石販売へと変化したことに注目し, 岩手県西和賀の中小鉱山を例にあげ, その変化の過程および変化の要因を解明したものである。西和賀の鉱山においては, 上述の変化が第一次世界大戦終了後の経済不況の時期を中心に生じた。これは, 機械化や新たな選鉱技術の導入と1910年の和賀軽便軌道 (黒沢尻―仙人間)・1924年の横黒線 (黒沢尻―横手間) の開通による交通体系の整備によるものと考えられた。すなわち, これらによって, 鉱石産出量と選鉱処理能力の増大, 年間を通じての安定した輸出手段の確保および輸送費の低減とにより, 自山製錬による販売よりも, 地域外の大手資本の経営する製錬所へ鉱石の形で販売した方が高い利潤を得られると判断したためと考えられる。また, 製錬施設を廃止し, 鉱石販売に転向した鉱山は, 商品としての鉱石を介して地域外の大資本による製錬所の鉱石供給地として位置づけられることとなり, 鉱石販売先の安定に伴い, その操業も安定した。