朝日連峰の山村・三面におけるクマの罠猟の変遷
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
わが国の代表的な狩猟集落として知られる新潟県三面を事例にして, クマ狩りの中で“オソ”と呼ばれる罠猟に着目し, 猟活動, 捕獲数, 罠場の空間的構造などからその実態を復元することを通して, 江戸時代後期における罠猟の発達とその要因について明らかにした。罠場は, 三面川本流, 岩井又川を中心に猿田川, 泥又川流域の尾根に分布する。猟師は各罠場の地形と植生の状況に応じてクマの移動ルートを推定し,“タテオソ”(尾根に平行にかける罠) と“ヨコオソ”(尾根に垂直にかける罠) を組み合わせる。また猟活動は, このような罠を仕掛ける行動“オソキリ”と罠の見廻り行動“オソミ”から成り, 各家で年に平均して1頭のクマを捕獲できる。さらに, 各家が罠を設置する場所“オソバ”は定まっており, 他の家はこれを侵さないという暗黙の了解があった。近世後期の戸数の変動と罠場との関係をみると, 明治期以降戦前までの分家にオソバがないこと, またその当時の紀行文から, 多くのクマを捕獲しクマの胆や菅むしろを村上藩に貢いでいたこと, さらに米沢藩の副業奨励として三面のクマの胆や皮を挙げていることから, その当時クマ狩りが発達していたことは明らかであり, その中でも罠猟が中心であったと推察される。
著者
関連論文
- 朝日連峰の山村・三面におけるクマの罠猟の変遷
- 東北地方の奥地山村におけるゼンマイ生産地域の形成 : 明治後期から大正期における奥地山村の商品経済化の一類型として
- ダム建設により水没予定にある集落の変貌 : 新潟県三面におけるゼンマイ採集に着目して