19世紀後半イギリス領ゴールド・コーストの新聞事情
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
19世紀後半のイギリス領ゴールド・コースト (現在のガーナ南部) では, 現地における西洋教育の普及と教育を受けたシエラレオネ移民の流入により, 英語識字者が増加した。識字層の拡大にともなって, 英語を用いた言論活動も活発になり, 新聞がその活動の中心的な舞台となった。19世紀後半のゴールド・コーストにおける諸問題を考察する際, こうした当時の新聞も重要な文書史料の一つとして取り上げることができる。なぜなら, 紙面上で展開される様々な記事を通して, 我々は当時の記事作成者の主張や議論に直接触れることができるからである。しかし, そうした主張や議論を史料として捉える際, それらがいかなる条件の下でなされたものか明確にする必要がある。本稿はそれらの条件を明らかにすべく, 当時発行された新聞の諸特徴を整理・概観する。具体的には, 当時発行された主要紙の紙名, 発行年, 発行地, 発行頻度, 価格, 頁数, 紙面の大きさ, 編集者, 発行者, 経営者及び印刷者などを整理した上で, 発行部数及び読者層, 経営実態そして各紙の論調と当局による規制などの実態を概観する。また, 附録として筆者がこれまでに調査を行った図書館及び文書館 (大英図書館付属新聞図書館, ガーナ国立公文書館及びガーナ大学バルメ図書館) の所蔵情報も合わせて掲載する。