藤田嗣治の一九二〇年代末の壁画表現 : パリ日本館《欧人日本へ到来の図》の製作プロセス
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
両大戦間の日本とフランスの間を移動しながら活躍した画家・藤田嗣治(一八八六―一九六八)は、一九二〇年代のパリで描いた裸婦や猫をモティーフとするタブローや太平洋戦争中に描いた「戦争画」で広く知られる。しかしながら、一九二〇年代末から一九三〇年代に壁画の大作をパリと日本で複数手がけている。なかでも一九二九年にパリの日本館のために描いた《欧人日本へ到来の図》は、画家がはじめて本格的に取り組んだ壁画であり、彼にとって最大級のサイズだっただけでなく、注文画ながら異国で初めて取り組んだ「日本表象」であった。近年、この作品は日本とフランスの共同プロジェクトにより修復されたが、その前後の調査により、当時の藤田としては例外的にも作品の完成までに約二年を要しており、相当数のドローイングと複数のヴァリエーション作品が存在することが確認できた。本稿では、この対策の製作プロセスをたどることにより、一九二〇年代の静謐な裸婦表現から一九三〇年代以降の群像表現に移行していくこの画家の転換点を考える。
- 国際日本文化研究センターの論文
- 2006-03-31
国際日本文化研究センター | 論文
- 興行としての宣教--G・オルチンによる幻燈伝道をめぐって (特集 近代東アジア文化とプロテスタント宣教師--その研究と展望)
- 「未亡人」の家--日本語文学と漱石の『こころ』
- 日清・日露両戦役間の日本におけるドイツ思想・文化受容の一面--総合雑誌「太陽」掲載の樗牛・嘲風・鴎外の言説を中心に (共同研究報告 「総合雑誌『太陽』の総合的研究」中間報告-その2-)
- 「満州」幻想の成立過程--いわゆる「特殊感情」について
- 《三条本洛中洛外図》の人脈について