一九二五年近代中国東北部(旧満州)で開催された大連動勧業博覧会の歴史的考察 : 視聴化された満蒙
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概要
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大連勧業博覧会(以下大連勧業博と略す)が一九二五年八月十日に、大連市で幕をあけた。これは博覧会と植民地主義との結合というものの輪郭をしめすのに大きく寄与した。博覧会が開催された時期は、大連市で新市制が施行された年(一九二五年)である。さらに言うならば中国上海市における五・三〇事件勃発及び満州における国際資本戦が激化し始めた時代でもある。この帝国の危機は合理的な満蒙政策と結びついた「文化主義的支配」と称されているものへの転換を導いていくこととなる。 まさに大連勧業博はこれを象徴するものであり、博覧会を契機として、日満鮮をつなぐツーリズム、ラジオ放送、映画、ライフ・スタイルの新しい形態、都市空間を彩る夜間電飾等の情報・文化装置が一斉に出現した。経済的にも大連勧業博開催期は、大連市における政商的企業家層の退潮と、満鉄及び日本の一流企業、実務的知識人等による大連市経済界への進出に特徴づけられる。さらに言うならば大連勧業博開催期は、大連市のみならず、満州の日本人社会に満蒙統合や、ラディカルな満蒙認識を呼ぶ世論が沸騰しはじめた時期でもあった。
- 国際日本文化研究センターの論文
- 2008-09-30
国際日本文化研究センター | 論文
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