二宮金次郎「負薪読書図」源流考 : 「朱買臣図」からの展開
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概要
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本稿は、我々がよく知っている二宮金次郎「負薪読書図」の原型について考察したものである。従来、この図はジョン・バンヤン『天路歴程』に掲載された挿絵をもとに、幸田露伴が作り出したものとされてきた。ところが考察の結果、二宮金次郎「負薪読書図」は、中国に起源をもつ「朱買臣図」をもとに作られた可能性が高いことが明らかになった。 「朱買臣図」には、読書をしながら歩く大徳寺系「朱買臣図」(負薪読書図)と、座って読書する妙心寺系「朱買臣図」(置薪読書図)の二種類がある。前者は『漢書』などの漢籍をもとに中国で作られ、それが日本に伝わってものであるが、後者は『唐物語』など日本で伝承された説話をもとにして描かれたものである。また前者は江戸時代狩野派の絵師によって継承され、後者は京狩野派にだけ伝わったものであった。 二宮金次郎「負薪読書図」を最初に描いた小林永興は、江戸狩野派の絵師であり、この絵を口絵として載せた『二宮尊徳翁』を書いた幸田露伴は漢籍に通じていた人であった。 明治期の江戸狩野派の人々、そして幸田露伴によって、大徳寺系「朱買臣図」は二宮金次郎『負薪読書図』へと転用されたものと思われる。 江戸時代の絵画が、明治時代になって、どのように応用、転用されていったのかを考える際に、本稿は重要なヒントを与えるものと考える。
- 国際日本文化研究センターの論文
- 2007-09-28
国際日本文化研究センター | 論文
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