17世紀オランダに普及した日本情報--デ・フリース『東西インド奇事詳解』における日本関係記述
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
江戸時代に日本に対するヨーロッパのイメージをめぐる研究はこれまで、先行する16世紀のイエズス会士による書簡や、18世紀初頭のケンペル『日本誌』以降のプロテスタントの著作を主たる対象として行われてきた。17世紀に関しては、カロンのようなオランダ東インド会社員による報告を除き、ヨーロッパに新たな情報がほとんどもたらされなかった時代として捉えられていたのである。 とはいえ、17世紀には、日本を直接訪れたことのない著者による、日本に関する多くの著作が出版されていた。本稿は、シモン・デ・フリース『東西インド奇事詳解』(ユトレヒト、一六八二年)における日本文化に関する記事を検討している。同書は、当時のオランダの中流階層において広く読まれた博物書であった。 同書における日本に関する様々な記事には、日本社会の様々な側面に関する、最新の情報を含む多くの情報が含まれている。デ・フリースはそれらの情報を、エラスムス・フランシシの博学書に依拠しており、さらにフランシシの著作は、主としてヴァレニウスやモンターヌスの著作に依拠したものであった。モンターヌスの情報源は、オランダ出島商館の日誌であり、モンターヌスは、日本社会に関する最新の情報を与える一六六六年までの日誌を利用できた。 デ・フリースの博物書を分析することによって、17世紀後半オランダの上流・中流階層の間で、「日本」が広範な関心を呼ぶ対象であったことが判明する。そうした関心の存在が、のちのケンペルの日本に対する探求心に何らかの影響を与えたことも、十分に考えられるのである。
- 国際日本文化研究センターの論文
国際日本文化研究センター | 論文
- 興行としての宣教--G・オルチンによる幻燈伝道をめぐって (特集 近代東アジア文化とプロテスタント宣教師--その研究と展望)
- 「未亡人」の家--日本語文学と漱石の『こころ』
- 日清・日露両戦役間の日本におけるドイツ思想・文化受容の一面--総合雑誌「太陽」掲載の樗牛・嘲風・鴎外の言説を中心に (共同研究報告 「総合雑誌『太陽』の総合的研究」中間報告-その2-)
- 「満州」幻想の成立過程--いわゆる「特殊感情」について
- 《三条本洛中洛外図》の人脈について