身分の変化と家族構成・人口構造の変動--奈良県吉野郡十津川村風屋、1738-1859 (共同研究報告)
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概要
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大和国吉野郡十津川郷風屋村の宗門改帳を基礎資料として、近世の村の人口と家族の特徴を分析する。ただしこの風屋村は、江戸時代の他の村とは異なる大きな特徴がある。この村の人々は天明六年(一七八六)を境として農民から郷士へと身分が変化した。この身分上の変化によって風屋村の全戸が郷士として姓を称するようになるのである。基礎資料は、大和国吉野郡十津川郷風屋村(現、奈良県吉野郡十津川村風屋)の宗門改帳である。元文三年(一七三八)から安政六年(一八五九)までの一二二年間の一〇九冊である。 農民から郷士へと身分が変化した一七八六年を分岐点とし、それ以前の農民時代と以後の郷士時代との間で人口構造や家族構造にどのような変化がみられるかを検証した。その結果、以下の項目に統計的有意差がみられた。① 世帯の規模が拡大し、一世帯当たりの夫婦組数も増加した。②女性の平均初婚年齢が上昇した。③男女ともに有配偶率が上昇した。④離婚率が低下した。⑤生前相続の割合が増加した。⑥女性筆頭者が減少した。 女性の初婚年齢の上昇を除き、有意差の出た現象はすべて武士的「家」意識の浸透によってもたらされたものであると考えることができる。家意識とは日本の伝統的家族観であり、家族の系譜が永遠に連続するという意識である。風屋村の人々は郷士という地位を得ることによって、「家」の系譜の存続をより強く意識した継承戦略をとるようになった。
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