医療専門職の教育に欠けているもの : 社会薬学の視点から
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
わが国では明治以降欧米の医療制度を取り入れそれなりの成功を収めたが、医療専門職の精神的な支柱であるprofessionの精神を移植することには成功しなかった。そのため、日本の医療職能団体はその社会的責務や義務に対する意識や自覚が欧米先進国のそれと比べて著しく低く、また自らの職能団体そのものの役割の社会的な重要性に対する自覚も弱いだけでなく、医療専門職の教育のあり方をも歪めてしまった。そのことがまた医療全体の健全な発展を阻害し、医療専門職自体の水準の向上を妨げている。本来professionとは、その特徴として職種独占(monopoly)と自律(autonomy)を持ち、自らの職業と自らの構成員の質に自ら責任を負い、その意味で自己統制された世界である。換言すれば、医療職能団体としてのプロフェッションは、本来その成員の教育のあり方を自ら考え、成員の教育内容と質に対して対社会的な責任をとらなければならない。そうするためにはどうしても専門家が専門家を育成するという形を取らざるを得ないはずである。本来医療専門職の教育はそういうものである。そのためそのような職能団体は、その成員を医療実践者、教育者、研究者、管理者として育成する必要がある。ここにこのような専門家の教育に特徴的な教育機関と医療実践現場と職能団体の三位一体の体制の必要性の秘密がある。そして、このような秘密を理解するためには、professionとprofessionalismに対する深い理解が必要である。日本における医療専門職の教育の最大の欠点は、professionの歴史的、理論的意味と意義を教えてこなかったことにある。医療専門職の教育のあり方を見直すためには、まずこのもっとも基本的な点から始めなければならない。
- 神戸薬科大学の論文
- 2004-03-15
神戸薬科大学 | 論文
- 神戸薬科大学1年生の意識調査 : 甲南大学経営学部1年生との比較検討
- 「メディア時代の音楽」論序説(III) : 私たちは何を聴いているか
- 「メディア時代の音楽」論序説(II) : 私たちは何を聴いているか
- 「メディア時代の音楽」論序説(I) : 私たちは何を聴いているか
- 『マルテの手記』を読む(IV)