近世後期における長吏番人の番役負担 -武州「下和名場」を事例に-
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概要
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千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第220集「記録史料に関する総合的研究Ⅵ--記録資料と日本近世社会」菅原健二編"A Comprehensive Study on Historical Records and Archives - Historical Records and Archives in the Early Modern Japanese Society -" Report on Research Project No.220近世村落において治水・灌漑、林野の利用は重要な問題であった。広範囲にわたる複数の村々の利害関係が交錯する用水や山野の利用に際しては番人が設置された。番人は水番であれば、堰の修覆、用水の見廻りなど用水の維持・管理を担い、林番であれば、草や薪の苅取時の見張り番などを担った。この番人は百姓が勤めることもあったが、多くの場合は賤民組織にゆだねられた。弾左衛門支配下の地域では番人は非人の役割であることが多く、番非人として各村で番役を勤めていた。このように従来、番人の中心を非人とみなす考えが主流であったが、近年弾左衛門支配下において長吏が番人を勤める事例が報告されている。
- 千葉大学大学院人文社会科学研究科の論文
- 2010-00-00
千葉大学大学院人文社会科学研究科 | 論文
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