ラフカディオ・ハーンの再話作品とモーパッサンの作品との関連性について : 「停車場にて」と「メゾン・テリエ」
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概要
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ラフカディオ・ハーンはアメリカ時代にモーパッサンの作品を五十作ほど翻訳し、作家自身や作品についての紹介記事や評論なども発表した。来日以降も、ハーンはB・H・チャンバレンに宛てた書簡や、東京大学での英文学講義でモーパッサンに言及している。また、『評伝ラフカディオ・ハーン(注1)』の作者ステイーヴンソン(Elizabeth Stevenson)は日本時代におけるハーン作品について、「晩年のハーンの作品はモーパッサン的であり、ロチ風ではなかった(注2)」と評し、晩年のハーン作品とモーパッサンの作品との関連性を示唆している。しかしながら、これまで両者の関係については、『小泉八雲事典』(恒文社、二〇〇〇年)のハーンとモーパッサンの関係を網羅的に整理している遠田勝氏による「モーパッサン」の項のほか、牧野陽子氏の「輪廻の夢『むじな』と『因果話』分析の試み」(『比較文学研究』第四七号、一九八五年)や、平川祐弘氏の「手にまつわる怪談」(『大手前大学人文科学部論集』第六号、二〇〇六年)などで取り上げられた程度である。上記二論文ではハーンが翻訳したモーパッサンの「手」と、「因果話」における手の描写との関連を指摘し大変示唆に富むが、例示されたものはモーパッサンの「手」における一文のみであり、ハーンの再話作品とモーパッサンの作品との関係はいまだ本格的に研究されていないのが現状である(注3)。そこで本稿ではハーン晩年の再話作品とモーパッサン作品との関連性を考察するうえでの地ならしとして、ハーンの早い時期での再話作品のひとつ「停車揚にて」('At a Railway Station')をとりあげ、それをモーパッサン作品「メゾン・テリエ」」('La Maison Tellier')と対比し、ハーンの再話作品全体のモチーフにモーパッサン作品が干渉した可能性について確認する。【はじめに】【一、ハーンのモーパッサン再評価】【二、「停車場にて」、「メゾン・テリエ」】【おわりに】
- 2009-12-20