中国語の統語機能について―日本語と中国語の比較を通してみる―
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
この小論は日本人が中国語を、中国人が日本語を学習するにはどうしたら理解し覚えやすいかという、外国語の教授と学習の実践的な方法論を考案しようとする立場から記述したものである。そのためにはそれぞれの言語に固有な言語体系(品詞分類や文法)から入るのではなく、人間は現実の生活のなかで現実をどのように認知しそれを言語表現しているのかという、言語のもっとも基本的なところからアプローチしようとするものである。人間は行為・動作を行わなければ、生活が現実化されない。行為・動作、あるいは行為・動作が行われる(行われた、行われている)ことをイベント(出来事)とよぶ。この行為・動作はどの言語においても一番大事であり、それは品詞分類上端的に動意詞という。生活が現実化するときにその行為・動作の対象となるものがオブジェクト(もの、物、者、場、観念物)であり、それは品詞分類上端的に名物詞という。行為・動作は、抽象的な一般的な行為・動作として現実化(現出)するものではない。人間はひとつの行為・動作のなかに多くの現実を認知しているのである。例えば「ひとが歩く」という抽象的な現象として生活の現実は存在しない。個別・具体的に、「だれが歩く」「どこを歩く」「だれと歩く」「なにをもって歩く」「何を着て歩く」「どんな気持ちで歩く」「どのような足取りで歩く」(歩いている、歩いた)かを一瞬にしてみてとる(認知する)。この小論では特にひとつの行為・動作がどのように(どのような有様・有り方・様態・様相・状況・状態として)認知され、それが言語にどのように表現されているかを中心に論ずることにする。
著者
関連論文
- 中国語の統語機能について―日本語と中国語の比較を通してみる―
- 日本語と中国語の受動表現の比較―感情移入(心理的態度)の表現方法比較―
- 「儒林外史」の統合観念と物語知性
- 「儒林外史」の基本文型から文体へ
- 「儒林外史」の社会・文化的コンテキスト : 新しい読み方を求めて
- 「阿Q正伝」の物語り文法
- 「我的兄弟」と「風箏」の文体論的比較試論--文章体の場を探る
- 魯迅作品における雪のイメ-ジとその作品構造-2-
- 魯迅作品における雪のイメ-ジとその作品構造-1-