F・エヴァルドの予防原則論 : 「悪しき霊の再来:予防の哲学の素描」書評
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概要
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さまざまな国際環境条約に明記されている「予防原則」は、2003年から2004年にわが国の環境省でも研究会が開かれた事実に顕著に示されるように、現在ますます注目を集めている。先進的な紹介者である大竹によれば、予防原則とは「潜在的なリスクが存在するというしかるべき理由があり、しかしまだ科学的にその証拠が提示されない段階であっても、そのリスクを評価して予防的な対策を探ること」と定義される(大竹・東 2005:18)。応用倫理学的な観点から捉えるならば、予防原則は環境倫理と科学技術倫理を横断するアプローチであるといえよう。本稿の目的は、F・エヴァルドの予防原則に関する独特の議論を「悪しき霊の再来:予防の哲学の素描」(Ewald 1997)に即して紹介・論評することにある1。エヴァルドは、いまやわれわれは社会的義務と安全の政治哲学に関して、パラダイム転換に直面しているという。19世紀のパラダイムは責任であり、それは20世紀を迎えて連帯のパラダイムに取って代わられた。連帯のパラダイムは福祉国家に対応するものであったが、20世紀後半に入るとこのパラダイムの基礎が揺らぎ、新たなパラダイムが必要となる。それはいまだ名称をもたないのだが、エヴァルドは新たなパラダイムを表現する候補として予防原則を挙げている。このようなエヴァルドの予防原則論は、フーコー流の「社会史の考古学」ともいうべき歴史認識に導かれたきわめて独創的なものではある。だが、エヴァルドはクセジュ文庫の『予防原則』(Ewald et al. 2001)執筆者のひとりでもあり、フランス予防原則研究の潮流を代表してもいる。したがって、本稿はエヴァルド一人の見解を紹介するのみならず、フランスでの予防原則研究一般に貢献することをも目指している。1節から3節までは、論文の節分けどおりにエヴァルドの議論を要約、紹介する。そして最後に、エヴァルドの予防原則論を同じフランスの論者の論考とつきあわせつつ、論評してみたい。
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