マルト・ビペスコと日本
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概要
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マルト・ビベスコは1886年にブカレストで生まれたルーマニア人である。彼女の円熟期の小説に僅かながら日本の事物への言及がある。マルト・ビベスコは生涯に30冊近い著書をフランス語で書き、フランスで出版した。彼女の作品中、1945年パリ亡命の以前にルーマニア語に翻訳・出版されたのは一部だけである。両大戦間のルーマニア知識層はフランス語版で読むことが出来たのだ。この国はヨーロッパ東部でただ一つのラテン系の国で、言語がフランス語と近いことがあり、19世紀前半から上流階級では子弟を教育のためにフランス送り出していた。国内の教育制度がまだ整っていなかったのである。ルーマニアは初めワラキア・モルドヴァ両公国として起こり、15世紀にオスマン・トルコ帝国に征服されて300年間植民地にされた。十八世紀に入りトルコは弱体化したが、台頭してきたロシアの他にオーストリア等西欧先進国への従属を強めることとなる。1848年フランスの2月革命に刺激されて、パリで学んだルーマニアの若者達が祖国の統一と独立を目指し革命を起こすがロシアとトルコが協調して武力介入し制圧されてしまう。しかし1859年に両公国で同一人物クーザ公を共通の君主に選出して統一国家ルーマニアが誕生する。その後1881年にドイツのホーヘンツォルレン家のカロル一世を迎えてルーマニア王国となった。ロシア、トルコ、オーストリア・ハプスブルグ等の列強に囲まれ、ナポレオン三世の関心を引く中、国内貴族たちがまとまらず、ルーマニア語を解しない若い王を迎えるという解決策を取り独立国家であろうとした。
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