交詢社設立についての一考察
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
特集・交詢社創立百二十五年交詢社設立準備段階の動きは、史料が灰儘に帰したこともあって明確ではなかったが、佐志伝氏による、福沢諭吉書簡や当時新発見された小幡篤次郎らから早矢仕有的に宛てられた書簡などを利用した研究である「交詢社創立前史」、さらに『東京曙新聞』『松本新聞』『田舎新聞』の記事などをも紹介しつつ執筆された『交詢社百年史』(佐志氏執筆担当の第一編第二、三章) によって知ることができるようになった。この佐志氏の研究が詳細にわたっていたこともあって、その後の研究はほとんど進展しなかったといってよい。したがって、本稿では、『福沢諭吉書簡集』の編纂過程で気付いたいくつか問題について、いまだ推測の域を出ないが、佐志氏が提供された史料などを利用して、いささか私見を述べておこうと思う。その問題とは、交詢社を構想し、実際に主導したのは誰か、それは何のための結社であったのか、つまり最初から「わが国における現存最古の社交クラブ」であったのか、福沢諭吉が表に出なかった理由はどこにあったのか、などである。それを福沢の動きの中に探ってみることを課題にした。
- 慶應義塾福澤研究センターの論文
慶應義塾福澤研究センター | 論文
- 「山形県北村山郡山口村開田記念碑」碑文作成の経緯 : 福沢諭吉と伊藤宜七
- 交詢社設立についての一考察
- ドイツにおける大学文書館
- 実際的大学アーカイブズ考
- アメリカ合衆国における大学史研究と大学アーカイブズ (特集 大学史研究と大学アーカイブズ)