<変質した科学>の時代の宗教(<特集>科学・技術と宗教)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
科学はその偉業と覇権にも拘わらず、二〇世紀半ば過ぎ頃から、客観性、普遍性、公益性を本質とするはずの古典的科学観から部分的に逸脱し、変質し始めている。マンハッタン計画、一九七〇年代以降のバイオテクノロジー、今回の原発事故が露わにしたような原発関連科学の複合体などの諸事例が<変質した科学>を象徴するものだ。他方でエリュールの技術論は、人間主体を周辺化するような、希望のない決定論的枠組みの中に文化を押し込めるものだった。科学もその種の技術体系に倣うものなのかもしれない。この現状の中では、もはや科学の特権性はなんら自明のものではなくなった。現代社会の中でも、宗教的な成分は、人間の感情が住み着く位相や、実証を逃れる知の中にしっかりと作動している。現状の酷薄さの中で、むしろ宗教者は従来よりも一層毅然とした批判的態度を貫徹しつつ、生命の尊重や弱者への寄り添いのような独自の活動を継続すべきなのである。
- 2013-09-30
著者
関連論文
- 島薗 進著, 『いのちの始まりの生命倫理-受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか-』, 春秋社, 二〇〇六年一月二〇日刊, 四六判, v+三二六頁, 二五〇〇円+税
- の時代の宗教(科学・技術と宗教)