明治中期における蚕糸業規制の導入と関西蚕糸業
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概要
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関西蚕糸業が優等糸生産によって1900年代以降に発展することは,石井寛治の指摘によって広く認識されてきた。石井はその発展を自主的な努力によると評価したが,本稿では発展の契機として蚕糸業規制の導入に注目した。まず,明治中期の蚕糸業規制をめぐっては,従来指摘されてきた生糸直輸出奨励とは別に,関西地方を中心とした後進地域の蚕糸業者が,蚕種検査や組合組織の強化など蚕糸業改良に関する規制を求める運動を展開し,結果的に前田正名の全国実業団体運動と合流してその導入を達成したことを示した。なお,関西地方の蚕糸業者は,従来指摘されていた生糸直輸出よりも神戸からの生糸輸出体制確立への指向をもっていた。また,運動の結果導入された蚕糸業規制を契機にして,関西地方で優等糸生産を可能とする質的な発展が達成されたことを明らかにした。具体的には,関西地方での蚕種の質的向上や蚕種統一が進んだこと,組合規制により繭取引が合理化され,製糸家が地元の優良繭を安定的に確保することが可能になったことなどを示した。
- 社会経済史学会の論文
- 2013-05-25