萬三商店の肥料製造と販路開拓(<パネル小特集>地方資産家の多角経営と事業構造-愛知県半田萬三商店の事例-,第81回全国大会)
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概要
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本稿では1900〜10年代における萬三商店の肥料商経営について,仕入・販売・生産の3側面から検討した。1900年代には萬三商店は,魚肥を北海道の肥料商から仕入れ,愛知県三河・知多地域へと販売した。また大豆粕は神戸の輸入商から仕入れ,愛知県三河地方および静岡県遠州地域へ販売していた。1910年には輸入大豆を原料とする大豆粕製造工場を設けて大豆粕製造を開始したが,製造した製品は愛知県など従来からの販売地域ではなく,最初から長野県・新潟県など遠隔地に向けて販売され,販売量は急速に拡大した。販路拡大の要因としては,養蚕業への肥料の需要が拡大したこと,1911年に中央線が全通し,肥料の直送が可能になったこと,1910年に亀崎の井口商会が倒産したことで同店の販路を獲得したこと,萬三商店が製造した大豆粕が他店製品に比べ価格が安かったことなどが挙げられる。低価格実現のためには費用の大半を占める原料大豆の調達が重要であるが,萬三商店はリスクの大きい満洲での直接買付は行わず,複数の輸入商社を競合させ,大口の予約注文を確保することで,大豆買付価格を下げ,かつ大豆相場の変動リスクを極力回避するという戦略をとった。
- 2013-05-25
著者
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