福島第一原子力発電所事故による地域社会と医療への影響
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概要
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福島県太平洋岸北部に位置する相双地区は東日本大震災による地震,津波および福島第一原子力発電所事故の影響が甚大かつ広範囲であり,被災初期には復興そのものが不可能とさえ思われた.しかしながら,震災6ヶ月後には20〜30km圏内に発令および設定された屋内退避指示,緊急時避難準備区域は完全に解除され,計画的避難区域も地域の実情に即し緩和されている.1年1ヶ月後には原発20km圏内の立ち入りを禁止した警戒区域も解除され,原発に10kmの位置まで近づけるようになった.南相馬市は,福島第一原子力発電所から半径20〜30km圏内の自治体の中では最も人口が多く(震災前人口約7万1千5百人),唯一市町村避難をしなかった自治体でもある.また,震災後も人が住み続けた行政区として,原発最前線地域とも呼ばれている.この地域では,地震津波による被害もさることながら,特に放射線被害は甚大であり,表面上の街の再生とは裏腹に,今も多くの問題点を抱えている.震災後の混乱で多くの貴重な資料が失われたが,本稿では相双地区,南相馬市,南相馬市立総合病院において残されたデータをもとに,東日本大震災後に生じた様々な事象を,可及的正確に記述し報告する.
- 2013-04-00