戦間期プラハにおける住宅政策 : チェコスロヴァキア共和国における社会政策と社会主義諸政党
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概要
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本稿の目的は,戦間期プラハにおける住宅政策議論を通して,新国家チェコスロヴァキアにおける社会主義諸政党の社会政策への対応を考察するものである。大戦後,首都となったプラハ市は住宅不足に直面し,国民社会党を中心とするプラハ市政は,1920年代半ばより,下層民のための住宅供給政策に着手した。しかし,プラハではウィーンやフランクフルトのような,気鋭の建築家を登用した一党主導の住宅開発は実現できなかった。これは,市議会における政党間協調体制のために,特に国民社会党が十分なイニシアティヴを発揮できなかったためであり,市当局とは異なる政策で緊急住宅の問題解決を主張した共産党の影響力が大きいためであった。多数派を形成できなかった国民社会党を中心とした住宅政策は,戦間期チェコスロヴァキア政治社会を特徴付ける政党間協調政策の一例として,また同時代のヨーロッパ諸国の住宅政策との比較という視点から,さらなる考察が必要である。
- 2008-05-25
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