瀬戸内海における帆船海運業と筑豊炭鉱企業 : 1920年代の麻生商店の石炭販売と輸送
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概要
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本稿では,筑豊炭鉱企業(麻生商店)の販売および輸送活動を事例とし,1920年代の瀬戸内海において帆船海運業が存続した要因を究明した。瀬戸内海での帆船海運業は,筑豊炭鉱企業の自家輸送が展開する中で,船主兼船長である「一杯船主」という個人経営形態であった。筑豊炭の海上輸送を担った一杯船主は,輸送量および輸送時期の変化に柔軟に対応するという意義を持っていた。この一杯船主が有効に機能するためには,荷主との仲介者(「回漕店」)が必要であった。一杯船主による輸送は,一杯船主・回漕店・石炭需要家の三者の相互関係に基づいて,地域分散的にある程度構造化されていた。また,積出港には多くの回漕店が存在し,炭鉱企業に対して複数の選択可能性を残していた。以上のような帆船輸送における海運取引が,炭鉱企業と一杯船主間のスポット取引で発生する不確実性を低下させていたのである。1920年代の瀬戸内海においては,炭鉱企業(特に中小炭鉱企業)と個人経営形態の帆船海運業が相互依存的な展開をみせていたと考えられる。
- 社会経済史学会の論文
- 2007-11-25