産業技術史と社会経済史の接点について(大会特別講演)
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概要
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明治の工業化と共に急成長した若松-大阪間の石炭輸送では,政府の汽船奨励にも拘らず,初期は在来帆船が主流,中期は小汽船で複数帆船を曳く曳船方式,後期は発動機付き帆船(機帆船)と,帆船の流れをくむ輸送法が,沿岸や島嶼地帯の帆船船主にも支えられ,優勢だった。この背後には,遠浅の在来河口港に,汽船が入港出来なかった問題がある。その代表が大阪港であり,汽船は沖泊まり・沖荷役を要求された。このため,水深の深い神戸港を外航船用港湾とし,阪神間は艀船曳船で乗客貨物を輸送する体制をとりつつ,大規模な河川の浚渫・改修と築港建設事業を強行し,江戸時代に発展した堀川と外航船入港可能な新築港とが,河川曳船による港内輸送で結合された,特異な港湾が完成する。この堀川を石油発動機付き巡航船が走ったことが,発動機船への関心を高め,当時の漁民や帆船業者に使い易く,町工場にも作り易い焼玉機関が一時期ブームとなり,機帆船の発展も支えたのである。その日本近代技術にとっての意味と,内海地帯の歴史地理や社会経済との関係を探りつつ,産業技術史学と社会経済史学の関連が考察される。
- 2010-11-25
著者
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