ワシントン英米石炭会議(1947年)とルール石炭鉱業統制体制の構築
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概要
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本稿の課題は,第二次世界大戦後ドイツ人への経済主権返還過程の起点となったワシントン英米石炭会議について分析することである。この経済主権返還過程は戦後ヨーロッパの再建と統合の進展において非常に重要であったからである。第1節では,アメリカ占領軍政府長官クレイ主導によって作られた新しいルール石炭鉱業統制体制案が分析される。この案の核となるのは,英米石炭統制グループ(UK/US CCG)とドイツ炭鉱経営(DKBL)の創設であった。なかでも,DKBLの創設は炭鉱経営権をドイツ人に返還することを意味した。これに続いて,石炭会議前に英米間でクレイ案実現に向けて行われた事前交渉が検討される。第2節では,ワシントン英米石炭会議が分析され,英米の対立と和解が明らかにされる。結果として,イギリスは自身の占領政策の失敗から来る過度の批判を逃れ,一方アメリカはルール地域への産業政策にこれ以降深く関与することになった。新ルール石炭鉱業統制体制は1947年11月に開始した。間接的な経済統制体制としてのUK/US CCG=DKBL体制の構築は,戦後のドイツ人への経済主権返還の出発点となったのである。
- 2007-05-25