1920年代東アジアにおける国際衛生事業と上海 : 「国際衛生条約(1912年)」改正をめぐる動きへの反応を中心に
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概要
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本稿は,1920年代前半の東アジアをも視野に入れた「国際衛生条約」制定の動きに対する中国の開港場の外国人衛生行政官および中国人医学者達の反応を検討し,近代中国における公衆衛生の整備と国際環境との連関を考察する。1920年代初め,国際連盟保健委員会は極東重要港の衛生調査を行った。調査者のホワイトは,極東にも適用可能な国際衛生条約案を提出したが,その内容の一つとして,各港を衛生施設の整備具合などによって等級付けるという案が含まれていた。上海共同租界の外国人衛生行政官の間では,この案が実現されれば,上海は三等港に位置づけられ経済活動に不利になるとの危機感が持たれ,上海全域の衛生調査を行おうとする動きが起こる。一方中国人医学者たちは,こうした国際環境を前に,まずは国内の衛生行政システムの整備が先決との認識の下,専門家を配した衛生当局の設立や外国領事が大きく関与する検疫行政の改善を求めた。中国人医学者達のこうした動きは,当該時期の中国社会のナショナリズムの高揚と相俟って,南京国民政府期の急速な衛生行政を支える基盤の一つとなったと考えられる。
- 社会経済史学会の論文
- 2009-09-25