生み落とされることば、手渡されていくことば : 水俣病事件と「本願の会」(<特集>災禍と宗教)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
わたしたちは、災禍において失語症的な状態に陥りがちである。しかし、災禍を超克するには、従来の思考の枠組みを超えたことばを使って、それを言語化していくことが必要である。本稿では、その失語症的状態から新しい思考やことばが生み出されるその宙吊りのあり方を「ことばの臨界」と呼び、水俣病事件の事例を考察する。とくに、ことばが多く生み落とされている「本願の会」という患者有志による会の活動を例にとる。「本願の会」は、いのち、魂、祈りなどの宗教的なことばを中心に、災禍から新しい局面を開く思考や実践を行なっている。そこで、「ことばの臨界」を経て、どのようなことばが生み出され、それが他者にどのように手渡されていくかという出来事を考察する。そして、救いや再生の道筋を示す出来事が宗教といかに関係するか、また、その道筋を理解するために、どのような視点が必要であるかを示している。
- 2012-09-30
著者
関連論文
- 語りえなさに耐える : 水俣病事件がもたらした倫理と宗教の回路(宗教と倫理)
- 水俣学へ向けて : 水俣病事件におけるライフヒストリー研究の再評価
- 生み落とされることば、手渡されていくことば : 水俣病事件と「本願の会」(災禍と宗教)