自然悪の苦しみと宗教哲学 : 神義論的問題の再編成へ向けて(<特集>災禍と宗教)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
本稿は、世界における悪(とりわけ自然悪)の存在を考える思索について、神の正当化を目指す狭義の神義論から区別し、悪の存在に対する抗議をおこなう思索を広義の神義論として定義し、そうした抗議の声に含まれる宗教哲学的な原資を探るものである。私たちは、自然悪について、自然への謙譲には収まらない抗議や不満を覚える。バーガーによれば、その抗議や不満の根底にあるのは、神の義から切り離してもなお要求しうるような、悪の意味の要求である。だが、この悪の意味は不明確な概念であり、アンリによれば、悪の外的な意味と受苦の内的な意味を区別すべきであり、後者の受苦は、生そのものの成立に関わる超越論的構造に組み込まれるべきものである。他方、外的な悪に対する苦しみへの宛て先のない抗議は、ネグリに従えば、悪の意味の要求ですらなく、悪を不公平と感じる尺度そのものへの反抗であり、尺度を超えた尺度の主体と世界の存在論的生成の契機なのである。
- 2012-09-30
著者
関連論文
- 神の言葉の器としての人間 : 波多野精一の象徴論の存在論的再解釈をめざして
- 悪の目的論から悪の逆説へ : 中期リクールにおける終末論概念の変容
- 他性と多性 : 他者の哲学/哲学の他者としての宗教哲学(宗教哲学の現在を問う-反本質論の波をうけて-,パネル,第六十八回学術大会紀要)
- ものを否定する、ものが否定する : 形象と否定神学(第三部会,第六十七回学術大会紀要)
- ジャンニ・ヴァッティモの宗教論 : 神の死以降の愛論の可能性(第二部会,第六十六回学術大会紀要)
- パネルの主旨とまとめ(他姓と媒介-京都学派とフランス哲学-,パネル,第六十五回学術大会紀要)
- 否定する愛 : 田辺・波多野・マリオンと存在愛論(他姓と媒介-京都学派とフランス哲学-,パネル,第六十五回学術大会紀要)
- 深井智朗著, 『超越と認識-二〇世紀神学史における神認識の問題-』, 創文社, 二〇〇四年八月三〇日刊, A5判, vii+三五五+五頁, 六六〇〇円+税
- 忘却と救いなき記憶 : 現代フランス宗教哲学からの一視角(記憶/忘却と公共性 : 内面性と集合心性のあいだで,自由テーマパネル,第六十四回学術大会紀要)
- リクールの宗教思想における贈与の経倫(第二部会)(第六十二回学術大会紀要)
- 正義の源泉としての倫理的確信 : 後期リクールの社会思想の基礎構造
- 実用的な過去[含 解題] (ヘイドン・ホワイト的問題と歴史学)
- 他の人々に面して、自己がここにいること--波多野宗教哲学を読みなおす (特集 日本哲学と現代)
- ホース・メ(ないもののように)--ハイデガーとキリスト教 (宗教と人間)
- 物質と時間--痕跡としての物質性 (特集 物質性/マテリアリティの可能性)
- はじまりはいつも悪--リクールにおける創造論の展開
- ありてある哲学者の神--マリオンとリクールの思索を手がかりに
- リクールの贈与論--倫理の源泉としての贈与の経綸
- 波多野精一の存在-愛-論 : 無からの創造論に注目して
- 満ちあふれる論理 : リクール宗教思想の根本概念
- 二十世紀フランス哲学とハヤトロギア? : 神と存在の関係をめぐる問いの変貌 (特集 ハヤトロギア(続))
- 記憶論が宗教哲学にもたらすもの : ルロワ=グーランを中心に(第三部会,第七十回学術大会紀要)
- ジャンニ・ヴァッティモの宗教論 : 神の死以降の愛論の可能性
- 「記憶する神」という思想 : 宗教哲学の再考とともに (特集 〈神〉思想のアクテュアリティー)
- 論争再読 : 20世紀フランス宗教哲学の一水脈
- 物語の後で : 『時間と物語』から見た『記憶・歴史・忘却』 (2008年春季シンポジウム : 記憶の哲学と歴史叙述 : 晩年のリクールの思索から)
- 自然悪の苦しみと宗教哲学 : 神義論的問題の再編成へ向けて(災禍と宗教)
- 死の後をめぐる幸福な記憶と忘却 : キルケゴールとホワイトヘッドを読むリクールの思索を手がかりに
- イタリア哲学における近代/ポスト近代論の一様相 : ヴァッティモのポスト形而上学的宗教論への予備的ノート
- 序文