余暇という希望 -3・11以降の新たなライフスタイルを求めて-
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概要
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何かをするための余暇ではなく、私という存在の根源に帰ることのできる余暇という時間を得ること、そこに自由の出発点がある。そしてこの自由によって私たちは現実にある「しがらみ」から離れた別種のコミュニケーションを生み出し、新しい「つながり」を紡ぐことができる。政治とは人々の多様なつながりを組織することであり、それによって社会を改良することである。しかし、先進国でもっとも低水準の余暇しか持ち合わせない日本人は、貧弱な政治組織に低迷せざるを得ない。より良い社会を作るために多忙からの解放が必須である。余暇は祈りや瞑想を通じて、生きることの意味や世界のあり方に思いを巡らすことのできる時間ともなる。労働と生産を追い求めた産業社会の行き詰まりに直面して、私たちは余暇に力点を置いた生活と社会を構想し直さなければならない。未来への希望は余暇にこそある。
- 2012-03-19
著者
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