川崎市における地域環境再生(<特集>地域環境再生の社会学)
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概要
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川崎市の南部地域では、戦前より海浜部の埋め立てによって重化学工業を中心とする工業地帯が形成されてきた。また、同地域は大都市東京と横浜を結ぶ交通の要衝地で、幹線道路網が早くから整備されてきた。自然海浜を破壊し、住宅地と工業地帯を分離するという慎重な都市計画を欠いたコンビナートの造成と、産業を優先し沿道住民の健康を無視して進められた道路網の整備は、工業の過密と交通渋滞を引き起こし、大気汚染、騒音、産業廃棄物等による深刻な公害を地域住民にもたらした。しかし、近年、川崎公害訴訟において、コンビナート企業や道路管理者の公害責任を問い、勝訴・和解した公害被害者を中心に、まちづくりの動きがでてきた。これは、大阪西淀川区の「あおぞら財団」の動きと連動するもので、公害で疲弊したまちを再生する試みである。一方、川崎では重化学工業が衰退し、コンビナートの再編が余儀なくされている。この二つの動きは、一つの潮流、つまり環境再生によって、地域の経済、社会に活力を呼び戻すことを求めている。新しいまちづくりは、産業の発展を「本」にして、「末として」の工業用地や道路網などのインフラ整備を図るというものから、環境保全に合致するインフラ整備やインフラ利用を「本」にして、都市のあり方や産業の発展を規制・計画するという、いわゆる「維持可能なまちづくり」に変えていかなくてはならない。21世紀に向けて、環境再生は地域社会の大きな課題になっており、川崎市等で始まった動きは注目に値する。
- 1999-11-20