再び「共同行為」へ : 阪神大震災の調査から(<特集>環境社会学のフィールド:<現場>から学ぶ)
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概要
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かつて私は調査にかかわる主体者間の関係(調査者-被調査者)について論じた。昨年からはじめた神戸市での震災に関する調査から、あらためてこの問題の中心テーマであった、調査者-被調査者の「共同行為」について論じる。被災地域ではいかにして生活再生が可能であるか、が緊要なる課題である。この課題への専門的支援は不可欠である。しかし残念ながら社会学は、他の応用科学のように、専門的知識・技術をも待ち合わていない。〈現実科学としての社会学〉は、いかようにあるべきか。被災者の〈絶望〉から〈希望〉への転身という行為は、被災によって自らの存在を否定されている人々が、現在の状況を、〈希望〉が無くなってしまった通過点として考えるのではなく、それとは反対に、あらゆる可能性がそこからはじまるところの「現実的境界」として考えられている。被災者のこうした転身に対し、私たちは何ができるであろう。この被災者の〈希望〉への可能性という「未検証の行為」が、再び〈絶望〉の状況へ引き戻されぬように、「未検証の可能性」のチャンスの瞬間を、観察し記録しつづける行為こそ、社会学者の構えでなかろうか。調査は、単に調査者-被調査者の関係に留まらない。私たちは被災者の〈希望〉の可能性への行為を反映している現在の〈絶望〉の具体的状況から認識すべきである。テーマは、そこに包摂されている。同時にまた、「未検証の可能性」の行為そのもののなかに包摂されていることを、対話によって発見し、共同で構築していかねばならぬところまできている。
- 環境社会学会の論文
- 1996-09-20