「関川水俣病」問題II : 被害状況と問題隠蔽の構造
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概要
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政府、医学関係者による「第三水俣病」の否定は、単に有明海における水俣病被害の否定を意味するにとどまらない。それは、熊本・不知火海沿岸での第一水俣病、新潟・阿賀野川流域での第二水俣病以外には新たなる水俣病は認めないとする意図を含意すると同時に、第一、第二における水俣病の認定基準の変更(厳格化)へとつながる重要な契機ともなったと見なされている(新潟水俣病弁護団、1984:69)。新潟県上越地方の関川流域における「関川水俣病」あるいは「関川病」(以後、「関川病」と記述)の存在の否定もまた、まずは、こうした大局的な流れのなかに位置づけることが可能である。しかしながら、「関川病」問題の終息はこうしたマクロな要因によってのみ説明し尽くすことはできない。本稿では、関の「『関川水俣病』問題I」を受けて、まず(1)「水俣病類似患者」とされたある「被害者」の遺族の話を取り上げる。この話から関川流域における「被害」状況の一端を見て取ることができると考えるからである。そして、その上で(2)「関川病」問題の発生と終息を規定した社会的要因は何か、についてさまざまな角度から検討してみたい。この二つを論じることで、"幻"となってしまった「関川病」問題の全体像がより鮮明に浮かび上がるであろう。
- 環境社会学会の論文
- 1995-09-01