面接相談におけるカウンセリングと仏教 : 不登校児の母親の事例を通して
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概要
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人の人たる所以は悩むことであるとも云える。悩むことにより、人は進化した。しかし、この悩みを解決することも人にとって重要なことである。社会の構造が複雑化し、悩みの内容も多岐にわたり、解決のための知識や技術が開発されカウンセリングという概念が発展してきた。しかし云うまでもなく、カウンセリングで悩みが全て解決されるわけではない。そこで本稿では、子どもの不登校を主訴として面接相談に来所した母親の、母親自身では解決出来ない問題について、その面接内容を忠実に再録することにより、その解決方法を検討しようとするものである。結果としては、カウンセリングにおいて自己洞察および自己-の気づきを繰り返すことにより、人間的な成長は期待されるものの、人間としての本質的な問題「人間は何のために生きているのか」という問題は解決されなかった。この間題を解決するためには、人間の知恵を越えた智慧すなわち仏の智慧に目覚め、真の自己に目覚めることが大切であることがわかった。
- 2009-03-12