「心身一如」の由来を道元・栄西それぞれの出典と原典から探る
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概要
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「心身(シンシン)一如」は心身医学で重要な概念であるが,この言葉の由来は従来から「道元の言葉"身心(シンジン)一如"とされ,」とあいまいである.近年は栄西の言葉「心身(シンジン)一如」とする説もある.栄西(1141〜1215年)は1198年に『興禅護国論』を執筆しているが,その原本は紛失して現存していない.現在,われわれが一般に読むことができるのは1778年以降の校訂本である.その校訂本では,「心身一如」を含む前後の句を『禅苑清規』(1103年,中国の文献:禅僧の生活規範が記してある)から引用して示している.しかし,『禅苑清規』には「心身一如」ではなくて「身心一如」と記載されている.したがって,栄西の執筆時の言葉は「身心一如」であったと推測される.一方,道元(1200〜1253年)の言葉「身心一如」の出典は『正法眼蔵』「辧道話」(1231年)である.道元の言葉を今日用いている「心身一如」の由来とするには身と心の語順の逆転が問題となるが,そのことに関しては本文で示した理由により納得できるものであった.以上,これらの言葉の出典や原典の検討から,今日用いている「心身一如」の由来は道元の言葉「身心一如」であって,また,「身心一如」は推測ながら栄西の執筆時の言葉でもあったであろう.道元・栄西それぞれの言葉の意味するところは本文で示した.歴史的には「身心一如」は身を重視し「心身(シンシン)一如」は心を重んじてきた.「心身一如」の本来の意味は身を重視した「身心一如」にあり,この概念は心身医学分野ですでに生かされているが,いっそうこの点を念頭に置いて研究・診療にあたるべきであろう.
- 2011-08-01