アメリカにおける医療へのアクセスと健康権-生命倫理の議論を中心に-
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概要
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アメリカでは1980年以降, 医療に関する分配論が盛んである. その背景には, 世界第1位の総医療費に対する医療費亡国論と, 支払能力に応じた医療の不公正な分配という深刻な問題がある. 国民7人に1人の無保険者の存在は人々の不安を増し, 生命の沙汰も金次第という深刻な現実を突きつけている. しかし, その他の先進諸国では医療を受ける権利を含む健康権を承認し, そのアクセスを平等に整備してきた. ところが, アメリカではその権利を否定し, 医療の分配も市場の原理によって個人が購入すべき財の1つとみなし, 独自の路線を歩んでいる. 人権運動を背景にアメリカで形成されてきた生命倫理は, このような事態に対し, 何を提言しえるのだろうか. 生命の価値を優先させるのではなく, その医療費をだれがどのように負担するのかという経済の問題を公正さと正義の問題と称して議論している. それが, 権利として承認されていないアメリカでの生命倫理の限界なのであろう. 日本国内においては, そのアメリカに倣って医療費抑制策が進行している. 負担の公平性によって無保険者を生みだし, 国民皆保険の崩壊を招いている. 健康権の議論も決して活発とはいえない状況下で, むしろ健康権を後退させる現状に至っている. アメリカと日本が異なる点は, 健康権に対する遵守義務があるか否かである. その遵守義務のある日本が健康や医療を自己責任に委ねるアメリカに追従するのは, 適切ではない. これ以上, 医療と皆保険の崩壊を進行させないために, 日本が見据える方向は少なくとも健康権を承認し, 皆保険制度を維持するために工夫と努力を続けるフランスやドイツであろう.
- 藍野大学の論文