ニュージーランドにおけるマオリの教育とバイカルチュラリズムおよびマルチカルチュラリズム
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概要
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ニュージーランドでは、主に英国からの移民によって19世紀に建国されて以来、英語が学校教育にとって最も重要な指導科目と考えられてきた。同様に、マオリの同化政策を標榜する植民地政府にとって、マオリ語は、マオリの英語修得の最も妨げになるものとみなされてきた。しかし、1980年代に入ってからマオリと英国植民地政府との間で締結されたワイタンギ条約(1840年)の中に記載されているマオリの権利に対する見直しやそれに伴うマオリの言語や文化の尊重に対する世論が高まり、マオリ語やマオリ文化の教育の復興がなされるようになった。この復興運動の一環としてマオリ語の完全なイマージョン教育を施し、マオリの言語や価値観および精神性をマオリの子供たちに教育するという目的の学校であるテ-コハンガ-レオ(就学前教育学校)が、1982年に開設された。その後、初等教育、中等教育、さらには高等教育にもこうしたマオリの教育を通じたマオリの目指すマオリとヨーロッパ移民(パケハ)との共生=バイカルチュラリズム達成への教育が発展してきた。ところで、その一方では、1986年にニュージーランド政府は移民の国籍を問わない移民法を初めて施行し、ニュージーランドは実質的な多文化主義国家へと歩み始めた。1990年代に入ると多数のアジア系移民も流入するようになった。また、学校教育においては、1980年代の半ばには、ニュージーランド政府は、マオリ語やマオリ文化の指導をニュージーランドのバイカルチュラル教育の一環として推進することを促す反面、このバイカルチュラル教育が、その後の多文化主義への礎になることを目標とした新しい学校カリュキュラムの導入を試みた。しかし、この政府の多文化教育政策には、マオリの教育者をはじめとして、ワイタンギ条約の遵守とバイカルチュラリズムを主張する多くの反対者を生み出すことになった。その結果、この多文化教育カリュキュラムの導入の実現はならなかった。ここに、「マオリとパケハ(ヨーロッパ系住民)とのバイカルチュラリズム」を標榜するマオリとニュージーランド政府が追求しようとする「多文化主義」との相克が、生まれてきた。「マオリの教育の発展」に伴う「バイカルチュラリズム」と「多文化主義」の相克に関する問題は、現在、ニュージーランド社会や教育の重要課題の1つであるが、日本の研究者が執筆したこの課題に関する研究論文は、数少ない。そこで、この論文では、最初に、マオリの教育の発展について概観し、その発展に伴うニュージーランドの「バイカルチュラリズム」の現状と限界について明らかにする。次に、1980年代から謳われ始めた「多文化主義」と「バイカルチュラリズム」との相克を解明する。そして、最後に、マオリの有する「ナショナルマイノリティーの権利」と移民や難民としてニュージーランドに移動してきた他の少数民族の有する「エスニックマイノリティーの権利」という概念を駆使しながら「多文化主義」と「バイカルチュラリズム」との相克の解決の糸口をも考察する。
- 2011-06-18
著者
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