Pramanavarttika,vv.11-50における一般相の議論について
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概要
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DharmakirtiはPramanavarttika第3章冒頭の63偈において,対象が2種であるがゆえに認識手段は2種である,というDignagaの宣言を取り上げ,自身の解釈を示している.彼はその中,初めの54偈を費やし,独自相(svalaksana)と一般相(samanyalaksana)の区別について論じる.彼はまず,両対象を区別する4種の基準を論の冒頭に掲げる.そしてその後,一般相の非実在性を第11偈から50偈にわたって論じ,最後に,独自相のみが唯一の存在であると結論づける.本稿は,この中,一般相を議論する第11偈から第50偈を取り上げ,2種の対象の区別を論じる文脈における,その意義を考察する.まずは,一般相の諸性質の中,特にどの点をDharmakirtiは問題とし論じようとしたのか,ということを見極めるために,議論の構成を検討する.そして結論として,この議論は,2種の対象を区別する4つの基準に沿って進められていることを示す.その上で,一般相の議論は同時に,普遍(samanya)実在論に対する批判でもあるという点に注目し,普遍実在論批判という視点から,第11偈から50偈の議論を検討する.この考察を通し,最後に,この箇所における一般相の議論は,2種の対象の区別に関する論を補強し,より明確にするという役割を担っていると考えることができることを指摘する.
- 2011-03-25