バーヴイヴェーカの瑜伽行派アポーハ論批判
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概要
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本稿は,中観派の学匠バーヴイヴェーカ(ca.490-570)の主著『中観心論』第5章第60偈から第68偈に見られる瑜伽行派のアポーハ論批判を考察するものである.『中観心論』第5章は,瑜伽行派の空性理解即ち「所取・能取は実在しない」(二取空)という空性理解を批判するための章である.瑜伽行派によれば,所取・能取といった形で我々に経験される事物は言葉や概念を通じて構想されたものに他ならず,ただ名のみのもの(abhilapamatra)に過ぎない.それ故に,彼らは「諸法は言語表現されうる本質を欠く」(abhilapyatmasunyatva)という意味でも空性を理解する.バーヴイヴェーカは,アポーハ論を「諸法は言語表現されうる本質を欠く」という空性理解を説明するための瑜伽行派の言語理論と見なしている.彼はanyapohaを一種の普遍(samanya)として捉えた上で,瑜伽行派の主張を「anyapohaという普遍が言葉の対象(abhilapya)である」という形で提示し批判する.彼は批判に際して次のような自身の見解を前提としている.すなわち,言葉の対象は普遍に限定された事物(samanyavad vastu)であり,その普遍とは<異種のものではないこと>(vijatiyenasunyatva)である.さらに,その普遍とそれを有する事物は存在論的に不異である(na prthak)から,その普遍もまた言葉の対象と見なしうる.そして,普遍に限定された事物とその普遍は世俗のレベルで実在するものである.このような前提に基づき,バーヴイヴェーカは以下の点を指摘してanyapohaが言葉の対象ではあり得ないことを示す.(1)特殊(visesa)と同様,牛xを限定するanyapoha1と牛yを限定するanyapoha2は異なる.それ故に,anyapohaは普遍ではありえない.(2)anyapohaは非存在(abhava)即ち他者の非存在,他者との差異である.非存在は自性を持たないが故に非実在である.その場合,喉袋を限定するanyapoha1と尾を限定するanyapoha2は実在せず区別し得ないから,喉袋と尾が同一のものと見なされてしまう.(3)anyapohaはそれが限定する事物と別個であるが故に言葉の対象ではあり得ない.バーヴイヴェーカは瑜伽行派のアポーハ論を批判することを通じて彼らの空性理解を批判する.彼にとって,言葉の世界は世俗的な実在性を持たなければならないのである.
- 2011-03-25
著者
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